本日ご紹介の顔マラソンは 「哲学のまち かほく市」で描く考える人顔マラソン!
実はご当地のものが中々思い浮かばなくて往生しました。
発想をちょっと切り替えて、哲学→ロダン 考える人で考えることに。脳ミソをフル回転させました(≧▽≦)
西田幾多郎の母校〜西田幾多郎 哲学館〜哲学の小径〜西田幾多郎 生い立ちの地〜哲学の道〜西田幾多郎誕生の地〜西田幾多郎の墓でゴルゴルゴ~ル!
今年は西田幾多郎生誕150周年、西田幾多郎哲学館20周年。
よいご当地コースが完成いたしました。
「かほく市は定住促進政策を推進し、あくまで観光は副次的な位置づけ、西田幾多郎記念館も観光施設ではなく交流施設である」というかほく市長のコメントが載ってた記事読んだことがあります。
そこで、ここに観光と交流を両方満たせるようなプランを提案したいと思います。(皮肉ではありませんよ~)
西田幾多郎生誕150周年、西田幾多郎哲学館20周年を祝ってチャレンジしませんか?
「哲学のまち かほく市」で描く考える人顔マラソン!コロナ禍だからこそ、地域の魅力再発
宇野気小学校
宇野気小学校
「自分が通ってた時はこの銅像に一礼してから校舎に入ったものです今なら絶対にさせないでしょうね」
ここの小学校のOBからのコメントです。
それだけ西田幾多郎愛が強かったんでしょうね。
昭和から平成、令和へ。
地域の偉人を子供たちに語り継いでいくのに、GPSアートの活用はいかがでしょうか?( *´艸`)
無
西田幾多郎先生の直筆「無(む)」。「す」ではありません。
校舎の壁面に描かれるなんて、畏敬の念がこもってますね。
無の境地とはよく言いますが、西田幾多郎先生の「絶対無」はもっと深い世界みたいです。
絶対無とは
日本語は西洋の言語と違い、述語を重んじる言語。例えば…
I am happy!
幸せだな〜
西田幾多郎の哲学はその述語が重要な役割を果しているとのこと。
私は石川県民である。
私(主語)は石川県民(述語)の集合体に含まれる。更に…
石川県民は日本人である、日本人は人類である、人類は哺乳類である、哺乳類は生物である 。。。
述語をどんどん広げていった先に最終的に全ての述語を含む無限大の述語に到達します。
世界にある全てのものは、絶対無の場所に包まれ、絶対無の場所の上に成立していると西田幾多郎は考えました。
人間は生き生きした現実世界を実感するために、意識を磨いていきます。勉強、仕事、趣味、スポーツ…やがて自分自身やっていることが正しいのだろうか?と省みることがやってきます。そして私は完全ではない。悪なのかもしれないと気づくのです。
けれどもその迷える心はやがて全てを包み込む絶対無の場所に出会うはずだと西田幾多郎は言いました。
個物は〜であるという述語が集まってできています。
「石川県民である」「男である」「GPSアーティストである」
私を含めた個物、つまり主語は実体を欠いているのです。
すべての述語を内包している絶対無を体験できれば自分も無であることを実感できます。
西田哲学、理解できましたか?( *´艸`)
哲学探しのお絵かきランに出発
内日角地下道
地下道には
西田幾多郎を探せ①
かほくといえば、(枝垂)桜、ルビー・ロマン、紋平柿、にゃんたろう、そして中央には西田幾多郎「絶対無」
西田幾多郎を探せ②
かほく市は大根に西瓜も名産なのね。そしてやはり西田幾多郎は外せない(^0_0^)
八幡社
神社に二宮金次郎がいました
宗教と哲学の違い
宗教は、絶対的価値を持つ神・教祖・教義を信じる事によって真理に近づこうとし、哲学は、様々な事象を材料に、自分の頭で試行錯誤しながら考える事によって真理に近づこうとする。
なるほど~。あんまり深く考えたことなかった。
西田幾多郎哲学館
安藤忠雄建築
世界的建築家 安藤忠雄さんが設計したこの建物、「考えること」をテーマに作られています。
展示室以外は館内は無料で自由に出入りできました。西田幾多郎哲学館は観光施設ではなく交流施設、何となくわかりました。
考える人ポーズ
おソロの顔マラTシャツで考える人ポーズ。
次回はゆっくり哲学館も見学したいと思います。
白尾
かほく市は坂ばかり
海岸段丘地のため坂を上ったり下りたり。
今回のコース、距離は短いですが意外とハードです。
やっぱり海に出ると気分があがりますね。砂浜も千里浜みたいに引き締まっていて走りやすかったです。
hasu TEA
スリランカ産紅茶とワッフルのお店
紅茶のかき氷とワッフルをいただきました。スリランカ人の店主と奥様の馴れ初めなんかも聞かせていただいて。。。
美味しゅうございました。
宇野気駅
線路と飛行機雲と
レールが敷かれた線路も、大空の飛行機雲も、通ったルートとしては一本の道として形作られる。
道は自分で描くもの
哲学的に考えちゃいました
西田幾多郎博士像
宇野気駅前には西田幾多郎博士像が
考える人と考えない人
何も考えない人のポーズだそうです(笑)
哲学の小径
考える人(ロダン)
なんとかほく市にもロダン考える人がいた
そして今回のお絵かきランのモデルです。
ロダン考える人は、実は「地獄に落ちたものたちを裁判官たちが上から見ている様子を表現したもの」で後に鋳造職人が考える人と名付けたそうな。
哲学の町にかほく市にある考える人は実はあまり考えてはいなかった。もしかしたらこれが絶対無の世界観なのかもしれません。
哲学は深いな~
哲学の小径に太陽の塔?
「芸術は爆発だ!」
画家 岡本太郎はパリ大学で哲学を学んでいたのだとか。
ご当地マンホール
宇野気のご当地マンホール、書店のマンホールまでありました。
立ち読みOKをマンホールで宣伝するなんて!(#^^#)
西田幾多郎生い立ちの地
西田家
西田家は藩政期には加賀藩の大庄屋を務めた由緒ある家柄で、この地では3~13歳の少年時代を過ごしたそうな。
その後、金沢四高(中退)、東京帝国大学に進学、哲学を学ぶことになり、高校の同級生、鈴木大拙の影響で禅に打ち込むようになったそうな。
色んな人がつながって時代を作っているんですね。
哲学の道
哲学の道
哲学の道は京都が有名ですが(京都も西田幾多郎ゆかりです)、かほく市にもあるんですよ。その道沿いには西田幾多郎の短歌が刻まれた銅板の書が立ち並んです。
哲学の書が道の両サイドに立ち並んでいるのがわかるかな?
西田幾多郎生誕の地
長楽寺
明治8年宇野気小学校は、西田幾多郎の父がここ長楽寺の一部を借りて教えたのが始まりだとか。長楽寺は西田家の菩提寺でもあります。
なるほど、西田幾多郎が地元の方々にここまで愛される理由がわかってきました。
西田幾多郎生誕の地
西田幾多郎が生まれてから3歳までこちらに住んでいました。3歳の時に隣家から の類焼にあい,焼失して宇野気駅のほうに引っ越したとのことです。
西田幾多郎先生 墓地
ゴールは西田幾多郎の墓地。誕生から生涯を遂げるまで、お絵かきランで巡ったような気分になりました。
ゴール
ゴルゴルゴール。12㎞のコースではありますが、西田哲学のふかーい世界に没頭できました。
今回のコースはコチラからダウンロードできます。
上山田貝塚
おまけに、ゴールそばにある上山田貝塚も見てきました。河北潟がむかし海だったからこそ、貝塚がこんなとこにあるんですね。手取川から流れ出た白山の土砂が対馬海流で流され、内灘の大きな砂丘ができ、そして浅野川等の金沢の河川からの土砂が溜まって河北潟として閉じてったみたいです。子供のとき、近所で縄文時代?の土器や貝殻発掘されてたの思い出しました。
かほく市のコースは、疫病退散アマビエもあります。
走った時の様子は、こちらの記事をご覧くださいませ。
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コメント
コメント一覧 (3件)
≪…哲学の道は京都が有名…≫で、それに関連して、数の言葉ヒフミヨ(1234)を巡らす『ヒフミヨ巡り』もあるとか・・・
≪…宗教は、絶対的価値を持つ神・教祖・教義を信じる事によって真理に近づこうとし、哲学は、様々な事象を材料に、自分の頭で試行錯誤しながら考える事によって真理に近づこうとする。…≫を、数の言葉ヒフミヨ(1234)の宗教的アプローチと哲学的アプローチを想う・・・
宗教的アプローチは、レンマ学や歎異抄の【摂取不捨の利益】の[南無阿弥陀仏]が[ひふみよ]に相当すると観る。
哲学的アプローチは、数学からの送りモノとしてチョット数学共同体からパラダイムシフトして、静なる『自然比矩形』や動なる『ヒフミヨ矩形』『ヒフミヨ渦巻』に想う・・・
禅的哲学では、〇△□の庭での空想が、演算符号(+-×÷√=)を浮かべる・・・
数の言葉ヒフミヨ(1234)の風景は、3冊の絵本で・・・
絵本「哲学してみる」
絵本「わのくにのひふみよ」
絵本「もろはのつるぎ」
コメントありがとうございます。
とっても深い世界ですね。ただいま教えていただいた内容を頭の中で思考をめぐらしていますが、なかなかどうして…
また続編の記事を考えてみたいと思います。
ここに訪問でき感謝しています。
開館20周年記念特別展「漱石と幾多郎―ふたりを慕う人々」が開催中とか・・・
夏目漱石の「草枕」は、文学的な数学(数理哲学)の教科書だ。
ふたりの続編を・・・