新型コロナの影響で2年連続中止になっていた青柏祭の山車巡行。それならばGPSアートで巡行させたい!
青柏祭の起源は平安時代。疫病退散を祈願する天王信仰を背景に伝承されてきた祭りとのこと。
アマビエの姿を書き写して疫病退散に…というように、七尾の町にでか山の地上絵を描けば疫病退散になるのではないか?そんな思いを込めて作りました。
青柏祭の大地主神社や小丸山城址公園、一本杉通りなどの七尾の街中、山の寺寺院群、国分寺跡などを巡ってラストは七尾城まで登って曳き山を引き上げる、七尾の表裏観光ほぼ全部盛りのコース。
今年は3年ぶりにでか山の巡行が行われ、青柏祭に合わせて走ってきました。
控えめに行って最高のコースです。ぜひご覧ください。
いざ出陣!七尾市城山陸上競技場をスタートし、七尾市街方面へ。
大地主神社
スタートしてすぐ、さっそく青柏祭の核心部、大地主神社へ。
大地主神社 は奈良時代に能登国守の守護神として、近江国・比叡山の東麓に鎮座する「日吉大社」( 山王神社の総本宮・滋賀県大津市 ) の分霊を勧請して創建された神社です。
地元から『山王神社、山王さん』と呼ばれ親しまれています。
青柏祭は、ここ大地主神社の例大祭。
大地主神社は、室町時代能登國七尾城主、畠山氏が御祈祷所として崇拝されていました。
そしてでか山は、室町時代に京都の祇園祭にならって、日本五大山城の一つでもある七尾城の3代藩主畠山義統が始めたとされています。
そう、今日のお絵かきランのラストで待っている七尾城です。
では七尾城まで、でか山を曳きあげてみようではないか!
ちなみに大地主神社の春の例大祭青柏祭は世界遺産(ユネスコ無形文化遺産)であり、大地主神社の夏祭り七尾祇園祭は日本遺産です。
日本中を探しても、一つの場所に世界遺産と日本遺産があるのはここだけとか!?
世界遺産の目的は遺産を保護すること、日本遺産の目的は遺産を活用することになっており、趣旨が大きく違います。
日本遺産は文化財や伝統文化を通じた地域の活性化を図るために、その土地の歴史、伝承、風習をひとつの「ストーリー」としてまとめ、それに関連する遺跡、名勝地、祭などをパッケージ化することとされています
私もGPSアートをツールに地域活性化を図れたらいいな。。。
二の鳥居
鳥居の上に三角屋根がついてます。
この鳥居は拝んでいることを表現しているそうな。
たしかに手を合わせているよう。
滋賀の日吉大社にある山王鳥居を参考にして建てられたそうです。
金網をかけられた龍の彫り物
しめ縄の本体は雲を、ギザギザの紙垂は雷を、わらの束は雨をあらわし、五穀豊穣を願う…というのは神社でよく見かけますが、その上にある龍の彫り物をよく見ると金網が!
昭和初期に青柏祭で雨が降り続いた頃、龍に金網をかぶせたところ、雨が止んだといわれている。
その後もしばらく雨が降らず農家から苦情がくるほど晴天が続いたとの言われまで。
以後、ずっと金網にかけられたままということか。
雲・雷・雨をつかさどる神龍も青柏祭にかかると…(#^^#)
大地主神社に到着すると、偶然にも大地主神社の神主さんにお会いすることができました。
実はこの神主さん、金沢市スポーツ事業団のナイトラン教室でたいへんお世話になっている星稜大学の大森重宣先生、なんと大森先生は1984年のロサンゼルス五輪で、陸上400メートル障害と1600メートルリレーに出場しており、世界一足が速い神主の異名を持っています。
今回のお絵かきランが無事ゴールできますようにとお守りまでいただきました。
ナイトランチームで駅伝に参加したりもしておりますので、よろしければ下記のブログもご覧ください。
七尾市街
七尾 地名の由来
「七尾」の地名の由来は、七尾城のあった山(通称・城山)の7つの尾根(菊尾、亀尾、松尾、虎尾、竹尾、梅尾、龍尾)からと言われています。
そう。先ほども出てきた今日のコースのラスボス七尾城には七尾の地名のルーツがあるのです。
この7つの尾根がある七尾の地名の由来となった七尾城に上るのです。
慶応橋(御祓川)
橋には菊(尾)、亀(尾)、松(尾)、虎(尾)、竹(尾)、梅(尾)、龍(尾)のステンドグラスが付けられています。
そこに富山のA尾さんが加ると…
それでは七尾ではなく八尾でしょ!
富山の八尾の由来を調べたくなりました。笑
かぶとやスポーツ
かぶとやスポーツさん前は、壁画や地上絵が。
われわれも地上絵を描いているのでついつい反応しちゃいます。バッタアウト!見逃し三振!
チェルキオ
イタリアンジェラート チェルキオ
実は今回のお絵かきラン、このお店の前を3回も通るんです。
もう我慢できない。
①献上 加賀棒茶②奥能登の天然塩③パイン
地元の食材をふんだんに。美味かった~
小丸山城址公園
前田利家は能登一国の大名として七尾入り、小丸山城を天正10年(1581)に築城し、天正11年(1582)金沢城に拠点を移すまでの1年間居城していました。
金沢百万石まつりは、加賀藩祖・前田利家公が1583(天正11)年6月14日、七尾から金沢城に入城したことを再現して開催されています。
百万石まつりの初期のころは、なんと七尾→金沢まで歩いた時代もあったそうな。えっ、60㎞ありますよ。距離で言うとウルトラマラソンです笑
百万石行列をなにげに見ていますが、七尾から金沢入りしたという目で見ると、また違った見方ができますね。
花嫁のれん
花嫁のれん館
花嫁のれんは、加賀藩で広まった独自の婚礼の風習で、嫁入りのときに持参して花婿の家の仏間の入り口に掛けられます。結婚式の当日、のれんをくぐって中に入り、新しい家のお仏壇参りをしてご先祖様にあいさつをして、その後に結婚式を始めるいう習わしとか。
実家の家紋が染め込まれ丹精込めて作られた花嫁のれん。もう実家にはもどってこないという決意表明でもあるということです。
花嫁のれん発祥の金沢などは、都会化されてしまって風習が廃れてしまっているようですが、七尾ではこの文化が大切に残されているんですね。
2015年から観光列車花嫁のれん号が走ることになり、2022年3月「七尾の嫁暖簾」として国登録有形民俗文化財に登録され、一躍、脚光を浴びています。
看板婆
七尾シルバー人材センターが運営するリサイクルショップ。看板ばばあと書いて看板むすめと読むとむすめさんが申してました(笑)
もちろん花嫁のれんもありましたよ(#^.^#)
茜屋喫茶茶房
異国の雰囲気がある素敵な喫茶店。洋風の店内に花嫁のれんがかけられ、和洋折衷な感じも良かったです。
そしてここで素敵な出会いが。
ド派手な衣装のきんちゃん。
ここから暫く、きんちゃんに花嫁のれん展をしているスポットをきんちゃんに案内していただくことに。
わたくし的にいつも感じていることが、お絵かきランは「出川哲朗の充電させてもらえませんか」っぽいと。
鳥居醤油店
きんちゃんに紹介してもらって鳥居醤油店へ。
なんと花嫁のれん展の会長さんのお店だそうです。
のれんの上部にはお嫁さんの実家の家紋が、下部は親御さんの嫁を出す親の言葉で伝えきれない思いを込めたものが描かれているそうで、二つと同じ図柄はないそうです。
この思いを込めて作った花嫁のれん、使われるのは結婚式のたった一度きり。
そんな大事な花嫁のれんを花嫁のれん展として、皆に公開してくれてるんですね。
年頃の娘を持つ親として、気持ちが引き締まる気がしました。
鳥居醤油店の暖簾
鳥居醤油店の暖簾には⛩が描かれていました。
そして暖簾をつるして絵を支えている両端の支え(フック)は鳥でした。粋ですね~
昆布のしら井
続いて金ちゃんが案内してくれたのは昆布のしら井さん。
女将さんが出てきてくれて、お客さんがいっぱいいるのに申し訳ないな~と思っていたら、いっぱい語っていただきました。
江戸時代、北前船が蝦夷から運んできた特産品のひとつが昆布で、この航路は「昆布ロード」とも呼ばれていたそう。七尾港には絶えず十数隻の北前船が停泊しており、でか山は北前船を模したと言われているそうな。
いろいろ繋がってきました(#^^#)
酒店
大正時代創業の酒屋さんだそうで、気さくなご主人が店内を案内してくれました。
店内をみるとレトロな看板や商品で溢れています。見ていて飽きません。
2階も上がって見ていきまっし。。。と言われて、シューズを脱いで上がってみると
これまた素敵な花嫁のれんでした。
常設しているらしいので、またお声かけして見せてもらえたら。
明治堂
七尾パン発祥のお店、明治堂さん。
七尾は戦時中は海軍の重要拠点として発展、そんな歴史の中で先々代が海軍でパン作りの技術を習得して、昭和6年11月3日に開業したのが明治堂の始まりだそうです。
なるほど。だからお店のおすすめは海軍カレーパンなのか。
美味しゅうございました。
お絵かきランは出会い旅
今度は、きんちゃんに負けじ劣らじ濃いキャラクターの方にお会いしました。
どんだけ~
やはり七尾は奥深いです。
でか山
3台のでか山が揃うのは3年ぶり。もちろん大迫力でした。
そしてこのでか山、3台あるというのにも深い意味があるのです。
青柏祭の起源は平安時代。疫病の象徴の3匹の猿神に奉納するため祭りになると山王社(大地主神社)に若い娘を生贄として奉納したとのこと。
ある年、娘を生贄に選ばれた者が、狼のシュケンに猿神退治をお願いし、激戦の末、猿神・シュケンとも息絶えてしまったとのこと。
以降、猿神のたたりを恐れ、3匹の猿に因み、3台の山車を山王社に奉納することになったそうな。
奥能登の数多くの猿鬼伝説もあり、猿神ともつながっているような。
そして能登半島の先端では、猿のお絵かきランができるんですよ。お絵かきラン研究家として、次回は能登に伝わる猿鬼について深堀りしていきたいと思います。
七尾市役所
七尾市役所、左のは猿神を退治したシュケンかな?
祭りのルーツを知らないと意味がわからない壁画ですね。
でか山ポスト
ポストもでか山のブロンズ像が。
祭りに対しての愛がすごいですね。
仙対橋
御祓川に架かる仙対橋には、でか山が描かれています。
大地主神社に奉納されたでか山は、この仙対橋で揃い踏みします。
昔の仙対橋は太鼓橋であったため、でか山が渡るときは命がけで「橋舞い」と呼ばれる祭一番の見所だったそうです。
印鑰神社
印鑰神社(インニャク)、難しくて読めませんでしたが。印とはハンコ、鑰(ヤク)とは鍵を意味するそうです。
奈良時代の能登国の成立の頃、七尾市古府あたりに国衙(役所)があり役人は朝廷から与えられた公印と倉庫の鍵を管理していました。印鑰神社とはその印と鍵を祀った神社のようです。
今回のお絵かきランコースではこの国衙も近くにあったとされる能登国分寺跡も訪れます。
でか山Tシャツ
でか山Tシャツ、店内でもいっぱい溢れてました。
道中では着ているアンちゃんも。祭りへの愛がすごいです。
でか山建築(袖ケ江みなとこども園)
七尾港に面する海岸線を気持ちよく走っていると…何やら変わった建物が。
でか山をデザインした建物が。こども園、なんと!でか山は原寸大サイズで設計されているとか。
恐るべき祭りへの愛情!
でか山パフェ
オレンジガーデン七尾店
七尾のでか山愛は、建物や建築物、Tシャツ以外にスイーツも。
能登食祭市場ないにあるオレンジガーデンさんでは期間限定でか山パフェ。
花火のサービスまであって最高でした。お店を出たころには完売。間に合ってよかった(#^^#)
山の寺寺院群
花嫁のれん列車
山の寺寺院群に到着するとすぐ、観光列車 花嫁のれん号が。むっちゃラッキー!
「和と美のおもてなし」をコンセプトに、外観のデザインは北陸の伝統工芸である輪島塗や加賀友禅をイメージされています。
いつかは乗ってみたいな~
山の寺寺院群が誕生したのは約400年前。 前田利家が能登領主として小丸山に築城した頃、能登方面からの攻撃に備える北の守りとして、29ヶ寺を配置したのが始まりだとか。
現在残っているのは16ヶ寺、個性的なお寺が多く、山の寺瞑想の道として整備されています。
先程までの青柏祭の喧騒から、瞑想モードになれるでしょうか?笑
恵眼寺
畠山家で伝えられた最澄作といわれている延命地蔵尊の霊告により、当寺に祀られたという地蔵信仰が有名で、山門の左右に地蔵が6体ずつ安置されています。
境内には一休さんもいましたよ。
「一休さんのとんち話」で有名な一休宗純は幼少期、京都の地蔵院で修行していたそうで、その「地蔵院」は、天台宗の開祖である最澄が作ったと言われている、地蔵院のご本尊「地蔵菩薩」からきているとか。
そういうことか~
本行寺
本行寺は、15世紀末に畠山文化を担った茶人円山梅雪によって開かれたとされています。
梅雪は貿易商人でもあり、加賀藩のキリスト教布教にも多く関わっていました。加賀藩は当時、徳川と対峙することに備えて先進的な外国との交易を進めていたことで、加賀藩内にもキリスト教が広まっていったのです。
そしてキリシタン大名高山右近が、マニラに追放されるまでの20年間、本行寺に身を潜めながら宣教を続け、禁止されていたキリスト教の信者が集ったことから「キリシタン寺」とも言われています。。
ゼウスの塔や高山右近のスポットなど、数多くの見所があり、
實相寺
本堂に加藤清正公を祀る能登では珍しい寺院。能登三大清正公って看板がありました(#^^#)
清正公信仰は、武勇者であった戦国武将の加藤清正が熱心な法華信者だったこともあり、日蓮宗と結びついて全国に広まったそうな。加藤清正と言えば肥後熊本のイメージですが、こういう形で広がっているんですね。
仁王門がとっても勇壮なのも加藤清正に関係するのかな!?
そしてこのお寺の見所は何といっても樹齢700年の椎の御神木。
すごいエナジーを感じましたよ!
本法寺
本延寺は七尾出身で安土桃山時代を代表する大絵師・長谷川等伯の生家の菩提寺です。
門の前の湾曲した階段下、苔がいい塩梅で広がっており、周辺の木はモミジが。すごくきれいにお手入れされています。まるで京都ですね。秋にまた来たくなりました。
国分寺跡
山の寺寺院群を過ぎると、ここから暫くは人里離れたロードです。
向こうに見えているのは、七つの尾根を持つという七尾城かな。
今からあそこの山を目指すのです。がんばろう!
のと里山里海ミュージアム
のと里山里海ミュージアムに到着。
建物のエントランスにはやはりでか山が描かれていました笑
こちらの施設、無料なのでじっくり今日のこれまでのコースの復習と、これから目指す七尾城の予習ができます。
国分寺跡
奈良時代、大宝律令が制定され、律令国家となった日本。
中央集権体制を固めるために、畿内の中央と地方を結ぶ道路は、人の移動、物資の輸送のほかに、情報の連絡機能が重要視されていたことから、諸国に国司や郡司を置いて駅伝制を整備しました。
箱根駅伝など、駅伝というのはこれが由来となっているんですね~。
能登ノ国の国府は七尾にあり、ここ国分寺のあたりに置かれていたのではということです。
そして国分寺とは、741年(天平13年)に聖武天皇が仏教による国家鎮護のため、当時の日本の各国に建立を命じた寺院とのこと。
むっちゃ広いですよね。ここには、かって講堂や五重塔があったようです。
江戸時代からいっきに奈良時代にタイムスリップ。
でか山お絵かきランは時代絵巻・歴史スペクタクルと言っても過言ではないかも
城山
七尾城は、能登畠山氏が居城とした巨大な山城で、日本五大山城と言われています。
標高300m、山麓から山頂までは険しい急登で、軍神上杉謙信も攻めあぐねた難攻不落の七尾城。
最後の最後にラスボスが待っていました。
10%勾配、最後は各々のペースで。
重量級の私はもうヘロヘロです。
しかし振り返ると七尾の絶景!何とかでか山を七尾城まで曳き上げねば。
ゴール
ゴルゴルゴール!
本丸跡
この絶景の地に本丸が築かれていたのです。
でか山が生まれたのもちょうど七尾城が置かれていた時代。
城主はここから七尾の町に描かれているでか山の地上絵を見ていたのかもしれません。
でか山で疫病退散 願いを込めて描きました。よろしければ皆さんもぜひ。
本日のコースはコチラからダウンロードできます。
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