2018年の年の瀬、ゴジラの石川顔マラソンを体験した私は、自身でも何か壮大なものを描きたくなり、翌年5月1日、元号が平成→令和に代わることから、その日に目掛け3か月妄想に妄想を重ね、奮闘しながら作品を作り、開催したイベントがこちらです。
コースはこちら
加賀百万石の城下町金沢で、元号が令和に代わるその日にサムライの顔を描く。しかもその距離は顔マラソン公式基準に合わせて、ジャスト42.195㎞。実際に、SNSで参加者を募ったところ、50名を超えるランナーに参加していただきました。
なお当日、金沢の歴史や文化など地元に住んでて知らない金沢の魅力を感じたいと思い、大会当日までSNSでコース上にある魅力やうんちくを参加者にご紹介していきました。今回はその時の情報を余すところなくお伝えしていこうと思います。
金沢五社めぐり
加賀百万石の藩主は前田家は金沢五社めぐりを奨励していました。五社をすべてめぐれば開運招諸願成就するとのこと。当日は元号が令和に代わる言わば元旦の日。今回の金沢サムライ顏マラソンでは五社すべてを巡りますので初詣はいかがでしょう。
ちなみに加賀前田家は金沢五社を配置することで結界をつくり金沢という町全体を守護していたとのこと。金沢の街には五芒星が散見されるのだか、あえて五にしたのも五芒星が関係あるのか?
そこで先日、Y先生が発見した新仮説、金沢市南部に強力なパワースポット・前田家墓地を頂点に五社を結ぶと金沢城を中心とした見事な五芒星が現れる。配置をみると金沢城の鬼門の方角は二社で鬼門を固めた強力な結界。しかも城下町にはサムライの顔まで描かれるように作られています。
金沢三寺群めぐり
加賀藩三代藩主・前田利常は金沢城の防備を行うため、城下に散在していた寺社を3か所に移転・配置しました。城の北東にある「卯辰山寺院群」、南東の「小立野寺院群」、南西の「寺町寺院群」、金澤サムライ顔マラソンコースでは、三寺院群を巡ります。
なおランナーであれば誰しもが経験する35kmの壁、本コースでは、ちょん曲げ部分の折り返しポイントでその壁をむかえることになります。どうしてもシンドイ場合は、残り2kmの金沢駅を目指しましょう。髪が坊主になるので金澤そうりょ顔マラソンに認定されます。
卯辰山山麓寺院群
コース中にある気になる神社仏閣をまとめてみました。妙国寺と宝泉寺、卯辰山三社は境内を通過するコースとなってます。
- 妙国寺
安永9年(1780年)建立の山門や大黒天堂がある。特に洗い仏は、備え付けのたわしで自分の体の治したい部分と同じ所をこするとご利益があるといわれてますので、痛いとこある人は同じとこ洗ってください。 - 全性寺
山門には健脚と足の病気の治癒を願う大小多数の“わらじ”が奉納され楼門に懸けられています。足に故障ある方は妙国寺に引き続きここで参ってください。もしかしたらここはワラーチの聖地かも(笑) - 宝泉寺
日本3大摩利支天の一つ。摩利支天は徳川家康をはじめ、毛利元就、前田利家など戦国武将が軍神として信仰していたとされ、前田利家は戦の時には、かぶとの中に摩利支天の小さな像を入れて出陣したとされる。古くから金沢城の鬼門を守ってきたと言われ、泉鏡花の小説にも出てきた魔神の住処、五本松がある。石仏がならび四国八十八箇所霊場の疑似体験ができたり、高台からの景色は芥川龍之介を金沢一の絶景と言わしめたなど、見どころ満載。 - 卯辰山三社
泣き一揆のあった日暮ヶ丘をもう少し登ると卯辰山三社に到着、左から愛宕神社、卯辰神社、豊国神社と並んでいます。豊国神社は豊臣秀吉を祀る神社で、前田利家の遺言により徳川幕府に隠れて山王社と称して創建された、豊臣秀吉を祀る神社です。江戸時代に秀吉を祀ることは反逆罪で御家取り潰しになるので、当時民衆が入山を禁止された卯辰山に作ったのも納得。社殿の奥には豊臣家の「五七桐」の紋が見えます。 - 野間神社
中国ハルビンで細菌兵器を開発し、人体実験をしたと言われている七三一部隊は戦後ここに仮本部を設け、実験資料の残務処理をしたと言われている。部隊を率いた石井四郎は四高(第四高等学校:現金沢大学)出身、金沢は軍都でありながら焼けなかった町…。隠れキリシタンも含め、金沢には市民もあまり知らない、いろんな顔があるようです…
小立野寺院群
小立野寺院群は戸室山から切り出した石垣を運んだ「いし曳きの道」に沿って33箇所あり、天徳院など前田家ゆかりの寺院が集められています。 サムライの顔の軌跡を描く関係上、今回のコース沿いにあるお寺は数か所なので、他の見どころとあわせてお紹介。
- 如来寺
前田家藩主綱紀が生母清泰院(水戸黄門 徳川光圀の姉)の位牌所として建立、現在の御堂は金沢市指定有形文化財ととっても由緒あるお寺です。 石で千体地蔵を彫ったり、おひるね寺として寺を解放するなどユニークなお寺さんですが、住職さんが実はランナーで過去には如来寺フリー10やスターウォーズランなど開催していただきました。如来寺本堂の正面の戸には葵の御紋と梅鉢紋が並んでいます。 - 経王寺
見どころでも紹介した加賀騒動の悲劇のヒロイン、前田吉徳の側室お貞の方(真如院)のお墓があります。 - 五人扶持の松
小立野に樹齢450年とも言われる、高さ7m、枝振りは南北24m、東西19m程の大きな松があります。北陸大学の創設者林屋亀次郎邸にあり、校章のモチーフにもなっているそうな。なんとこの松は10人の歴代総理(吉田茂、芦田均、岸 信介、池田勇人、佐藤栄作、田中角栄、三木武夫、福田赳夫、大平正芳、中曽根康弘)も見に来たそう。 残念ながら今は一般公開されていませんが、実は今回のコースで通る天神町緑地から眺めることができます。
寺町寺院群
寺町寺院群は、全部で70あって三寺院群では一番大きく、今回の金澤サムライ顔マラソンではひと通り寺の前を通るのですが、前回の試走で特に面白いと思ったお寺をピックアップしてみました。
- 妙立寺
寺町寺院群は徳川幕府が西から攻めてきた場合のサムライたちの出城の役割をになっており、妙立寺はその本丸、監視所の役割を担っていました。外敵を想定した要塞としてのさまざまな仕掛けを備え、迷路のように複雑に入りくんだからくり屋敷のような構造!金沢市民にとっては言わずもがなの忍者寺ですね。 - 玉龍寺
山門は慶安年間に近いものということですが、良く見ると山門を護っているのはガンダム、シャアザク、そして境内にはアンパンマン、ドラえもんが(笑) - 三光寺
ちょっと可愛らしい?石の仁王門がすごく印象的なお寺ですが、明治11年(1878)、大久保利通を東京の紀尾井町で暗殺した旧加賀藩士島田一良たちの集会所であったことで知られています。 首謀者たちは「三光寺派」と呼ばれたようで、歴史が動いた舞台がこんなところにという驚きと、明治維新に乗り遅れたサムライたちの悲哀が感じられました。 - 宝勝寺
前田利常公が創建したお寺ということですが、本堂の一角で「寺カフェ」内装も斬新な感じで、お茶してるすぐ横でお経を唱える声が。 - 月照寺
石仏がたくさん並んでるのが壮観。卯辰山にあった三十三体と鶴来街道にあった三十三体の観音仏を集めて安置したものとか???もっと詳しく由来が知りたい… - 龍渕寺
境内に入ると薄暗く苔がむして、何か別世界の空間てした。ここだけ竹林が残っているので調べてみると、3代利常の命により藩主公用の竹林となり、今では寺域全体が金沢市の保存樹林だそうな。殿様の命が数百年生き続けるとは恐るべし金澤。
金沢用水めぐり
金沢は水の町、藩政期から受け継がれる用水の町、至るところで水の流れを目にすることが出来ます。今回は用水沿いを狙ってルーティングしましたので、水の流れを感じながら走ることができます。 ちなみに金沢市には55の用水があり、今回は以下の用水のそばを通ります。さていくつ見つけられるでしょうか?
中島用水、辰巳用水、勘太郎川、泉用水、中村高畠用水、大野庄用水、鞍月用水、旧西外惣構堀、 旧東外惣構堀、小坂用水、小橋用水
金沢市が設置した用水の石柱(まちしるべ)も設置されていますので、時間あったら見つけてください。
金沢広見めぐり
コース上、細く曲がりくねった小路をぬけると、広く開けた空間に出会うことがあります。 金沢ではこれを「広見」と言い、藩政時代、火災の延焼防止を目的に作られたと言われています。
ちなみに【柿の下、火止まろ(柿本人麻呂)】というダジャレから広見に柿の木を植えた場所が、そのまま町名(柿木畠)になったとのこと。知ってました?
金沢三茶屋街めぐり
観光客にも人気のにし茶屋街、ひがし茶屋街、主計町茶屋街を巡ります。
主計町茶屋街から「暗がり坂」をのぼったところにある久保市乙剣宮の向いは、文豪・泉鏡花の生家のあった場所で、泉鏡花が学校に通った道といわれています。 またかつて旦那衆がご贔屓の芸妓さんに会いに人目を避けて茶屋街(花街)に通うために使われてきた道と言われています。
泉鏡花になるもよし、旦那集気分になるもよし、金沢サムライ顏マラソンではこの道、通ります。
金沢の坂道めぐり
コースのアップダウンもなかなかです
金沢は犀川と浅野川に挟まれた河岸段丘の町、実は坂道がたくさんある町です。 今回のルート上でもわかっているだけでこれだけの坂道が(;^_^A
汐見坂、子来坂、表坂、御転坂、常盤坂、天神坂、亀坂、白山坂、不老坂、つばや坂、石伐坂(W坂)、瓶割坂、暗がり坂、あかり坂、観音坂、 帰厚坂、千杵坂、開基坂、獅子帰坂
なお坂道には名前の由来が残っており、ちょっと紹介させていただくと
- 「亀坂」 金沢城築城の際、大勢で大きなソリで石を引き上げていた様子が亀に似ていたことから
- 「不老坂」 近くに風呂屋があり、不老長寿によいというダジャレでつけられた
金澤サムライ顔マラソンでは、30㎞地点から卯辰山に上り、坂道のクライマックス(135m)を迎えます。 総獲得標高は370m(金沢マラソンは96m)、みんなで励ましあって完走を目指しましょう。
高山右近と隠れキリシタン
キリシタン大名、高山右近は加賀藩祖前田利家の保護によって金沢に26年間滞在したと言われています。 (石川門そばの紺屋坂には切支丹寺があった。カトリック金沢教会には右近の銅像やステンドグラスがある) また前田利家の4女、豪姫は大阪で洗礼を受けたのち金沢に戻ってきたそうです。
豪姫屋敷跡(黒門前緑地)にはマリア灯篭(隠れキリシタン灯篭)を見ることができます。 なお徳川幕府の禁教令により、長崎浦上村のキリシタン516名が卯辰山の山中の牢屋(四百年の森や花しょうぶ園あたりなど)に幽閉され、飢餓と拷問の苦しみを受けたそうです。
四百年の森のそばにひっそりと「長崎キリシタン殉教者の碑」があります。 実は卯辰山は長い間一般の民衆の入山が禁止され(金沢城防衛上の理由もあり)、悲しい歴史がある山だったのです。
金沢の眺望
金沢サムライ顔マラソンでは、 芥川龍之介が金沢一の絶景と評した宝泉寺の眺めや、先週オープンしたばかりの眺望の丘など 見晴らしのよい展望台をたくさんチョイスしました (^^)/
車では回れないとこもいくつかあるので、あなたが知らない金沢発見できるかも!
加賀一向一揆
400年以上続く今の城下町が形作られる前、一向一揆(百姓)が金沢御堂(今の金沢城)に砦を築き、 100年もの長きにわたり加賀の国を治めていました。 しかし織田信長軍の侵攻にあい、柴田勝家、佐久間盛政らによって金沢御坊は攻め落とされました。
今も金沢城にある極楽橋は昔、金沢御堂に参詣する人は朝、念仏を唱えながらこの橋を渡り、夕方、日本海に沈む夕日を拝んで極楽往生を願って帰ったと云われています。
前田利家の一向一揆掃討戦により、金沢市内には百姓が治めていた当時の町の史跡や記録がほとんどないようなので、コース上には見どころスポットはありませんが、100年続いた全国稀にみる百姓の持ちたる国、その本山もこの顔マラソンにあったことをイマジネーションしながらランニングしましょう。
金沢城の惣構跡めぐり
金沢城のお堀とは別に城下町にはさらに二重の惣構がありました。 惣構は城下町を囲い込んだ堀や土塁で作った防御施設で、ブラタモリでテレビ放送されていましたね〜金澤サムライ顔マラソンでは、タモリさんがリポートした場所や、最近金沢駅そばに復元れた西外惣構堀(枡形)を走ります。
ここに惣構があったと実感できるポイントが多数ありますので、ぜひ古地図と見比べながら当時に思いをはせて下さいね〜
万葉の時代の金沢
新元号令和は万葉集から引用したということで、がぜん万葉集が注目されてますね。万葉集の編纂に関わった大伴家持は、越中の国司として赴任していたことから、この地域でたくさんの句を残してます。
私も昨秋、倶利伽羅〜越中国府までの歴史国道、北陸道沿いに句碑めぐりしたとこでした。ちょうどその時代は、律令制により道が整備(北陸道)され、通信、交通運搬の手段として「駅制」ができました。駅は手紙や物、人やお金の乗継ぎの地点で、宿や商店も整えられ、次第に町として発展していったそうです。
金沢には田上駅という名前の駅があったようで、今の橋場町あたりにあったという説があるとのこと。(今の田上町という説もある)ちなみに駅伝の名前の由来は、この奈良時代の駅制がルーツみたいです。金澤サムライ顔マラソン、大伴家持も越中赴任時に通ったであろう田上駅で襷を繋ぎましょう!
金沢の文化施設めぐり
先日の試走で気になったサムライ ミュージアム SAMURAI MUSEUM 、正式名は前田土佐守家資料館で金沢市の施設でした。金沢文化施設共通観覧券 1DAYパスポートたるものがあり、調べてみると・・・ なんと全16施設中8施設もコース沿線上にある!
8館回ると約2000円かかるところがなんと520円! 文武両道を地で行く金澤サムライ、スタンプラリーなんかいいかも。室生犀星記念館(310円)、金沢市老舗記念館(100円)、前田土佐守家資料館(310円)、金沢能楽美術館(310円)、 徳田秋聲記念館(310円)、金沢文芸館(100円)、金沢蓄音器館(310円)、泉鏡花記念館(310円)
金沢のまちしるべめぐり
金沢には町名、旧町名が彫られた石柱が点在しているのは、何となく気づいてますよね。なんと222箇所あるそうです。 ちなみに金沢は全国に先駆け一番最初に旧町名を復活させた(1999年主計町)そうで、意外に先進的!
金沢サムライ顔マラソンのコース上にどれだけあるか調べたら、なんと44箇所もありました。
町名のほかに、町の名前の由来も書いてあって、へぇ~と思うことがいくつも。
江戸時代初期、片町あたりは犀川の中州だったこと、尾張町や近江町(市場)あたりは、愛知や滋賀の商人が住んでて、金沢一の繁華街だったんですね
- 片町 この地は犀川が分流し河原になっていたが、片側に掛作りしてすまいをしたためこの名がついた。はじめこのあたり一帯を河原町と呼んだ。
- 竪町 古くは犀川の河原であったが、元和二年町地となり、川に並行して道路をつくったため竪河原町と呼んだ。のち省略されて竪町となった。
- 尾張町 前田利家の出身地尾張から来た商人を住まわせたのでこの名がついたといわれ、藩政期は金沢の経済の中心地であった。
安政の泣き一揆
幕末の金澤、自然災害や凶作により米の値段があがり、安政5年7月11日の夜、約2,000人の群衆が卯辰山に登り、「ひもじいわいやぁ~ 米くれまいやぁ~」と金沢城に向かって叫びました。
これこそ、「安政の泣き一揆」前田の殿様にこの声が届き、13日には藩のお蔵米が500俵余り米商人に売り渡され、米の値段を一升100文以下にせよとお触れが出て米の値段が急に下がりました。しかし、悲しいことに首謀者は、百坂の刑場で「刎首の上、梟首(さらし首)」になり、今でも亡くなった首謀者7人を弔うため、卯辰山の麓に七稲地藏が祀られています。
金澤サムライ顔マラソンでは、七稲地藏を参ったあと、群衆が通った観音坂を登り、群衆が声を揃えて叫んだ場所、日暮ヶ丘を通ります。30kmを過ぎたキツい場所、ひもじいわいや〜と叫んでみませんか?
金沢忍者めぐり
金沢といえば忍者寺が有名ですが、実在の忍者としては漫画「花の慶次」で前田利家公直属の 四井主馬が率いる忍びの軍団が登場!マニアの人はご存知ですよね。
四井主馬については宝泉寺のホームページで詳しく解説してますので興味ある方はぜひ。
ちなみに宝泉寺と宇多須神社には数体の忍者に会うことができるし、金沢城公園で忍者パルクール も開催されるので、金沢はもしかしたら忍者推しの町??
なお、ひがし茶屋街では、屋根に忍び返しという金物をつけた町屋を見ることができます。 文字通り侵入者(忍者?泥棒?)を防ぐ役割とかで、今では大変珍しいようですよ〜数体の忍者同様、こちらの家もコース上にあるので、ぜひ見つけてくださいね〜
包丁サムライと加賀騒動
2013年公開の映画で加賀藩が舞台の「武士の献立」見ましたか? 実は私も主演の上戸彩が舞台挨拶に来るというので、先行上映に見に行きました。 あらすじはというと… 六代藩主の死後、泥沼の政権争い「加賀騒動」の真っただ中を生きた包丁侍が、 料理を通して家族力を合わせて難局を乗り越える、“加賀料理“の基礎を築いた 実在の舟木家をモデルにした人間模様を描く感動の物語
キャストは藩主の側室であるお貞の方(夏川結衣)に仕える女中の春(上戸彩)、 春の旦那となる包丁侍、舟木安信(高良健吾)、その父舟木伝内(西田敏行)、 加賀騒動の中心的人物である大槻伝蔵(緒方直人)・・・ 大槻伝蔵は越中五箇山に流刑となり自害、お貞の方も自害、関係者すべて断罪というこの騒動、なんと日本三大お家騒動に認定されてるほど!
ここでウンチクがあるんですが、しいのき迎賓館(旧石川県庁)の前にたつ樹齢400年以上の2本のしいのきは大槻伝蔵の屋敷の庭にあった木(明治になって移植した)とされています。
ちょうど金沢マラソンのスタート地点にあり、みなさんしいの木の前で記念写真をよく撮っていますが 、昔から加賀騒動に起因した妖怪伝説があったということ、逆に大槻伝蔵の怨念をしずめるために残されているという都市伝説があるということ、知ってました?
加賀百万石の日本一
日本一の禄高を誇った加賀藩の中心、金澤は、江戸時代は全国で5本の指に入る人口の町でした。 1750年(寛延3年)
- 1位 江戸 122万人
- 2位 大阪 41万人
- 3位 京都 37万人
- 4位 金沢 12.8万人
- 5位 名古屋 10.6万人
- 6位 仙台 6万人
そして明治時代、1877~1881年、なんと石川県の人口は180万人で日本一でした
まぁこの5年間は富山県と福井県の大部分を編入していただけなんですけどね。
というわけで加賀百万石のすごいとこが気になってしまい、今回のコース沿いにて、世界で~、日本三大~、日本最古の~、北陸唯一の~、といったようなスポットなどを調べてみると…こんなにたくさんありました。
- 世界で最も美しい駅14選 金沢駅
- 金箔生産日本一(98%) (黄金の茶室他)
- 日本三大美人 加賀美人(市内各所)
- 日本三名園 兼六園
- 日本三大銘菓 森八(長生殿 )
- 日本三大お家騒動 加賀騒動(堂形シイノキ)
- 日本三大摩利支天 宝泉寺
- 日本三(四)大用水 辰巳用水
- 日本最初の文学碑 徳田秋声
- 卯辰山日本最古の噴水
- 兼六園 日本最古の銅像 兼六園(日本武尊)
- 日本最古の商店街 片町商店街
- 日本最古の避雷針 尾山神社
- 日本最古のハンコ屋 細字印判店
- 日本最古の単純曲弦ワーレントラス橋 犀川大橋
- 日本で唯一の能楽博物館
- 金沢能楽美術館北陸唯一の和傘店(職人) 松田和傘店
※他にあれば教えてください
参勤交代と北国街道
社会でも習った参勤交代、日本一の大藩である加賀藩の参勤交代は約2000人から4000人規模で、だいたい12~13泊の行程で190回も行われたとか。
1日平均10里(40㌔)を行進し、総距離は480km。なんと江戸の加賀前田家の本郷上屋敷は今の東大のあたり一帯で約10万4千坪(東京ドーム7.3個分)、下屋敷は板橋にあり約22万坪(東京ドームの15個分)。ちなみにかの有名な東大の赤門が前田家上屋敷の正門そのものだったんですね〜。
さて金澤サムライ顔マラソン、後半35km卯辰山を下って157号線にぶつかる直前、参勤交代が行われた北国街道にぶち当たります。そして北国街道沿いに少し進むと(桜ヶ丘高校前)この「下口の松門」の看板が。実はここ、城下との境界を示す地点で、大名・藩士は、松門より城下へ入る時は供連れの行列を立て直し、出る時は行列を緩める惣門の役割を果たしていた松とのこと。旅人を送る、迎えるもここが基点だったそうです。
城下から外にでてサムライのちょんまげを書くか、とどまって僧侶になるか、当日もちょうどこの看板前でお別れっていうドラマチックな展開があるかもしれませんね。
香林坊にかかる橋
金澤サムライ顔マラソンをスタートして20km、金沢市繁華街の中心、香林坊に辿り着きます。ここら辺ってなんとなく起伏があって、おもしろい地形ですよね。
香林坊の交差点あたりは、江戸時代は最初は犀川の支流、その後、西外惣構堀となり、いずれも橋がかかってたみたいです。また渡ったとこには木戸の柵門があり、番人がいたとか。アトリオ前あたりかな?
また香林坊というのはこの辺りに住んでた坊さんで、ある日の夢枕に地蔵尊があらわれ、そのお告げにより“目薬”を調合してみたところ、その薬が前田利家公の目の病を治し、商売大繁盛したとか。またその後、この地蔵尊、寛永の大火の時、地蔵辺りで不思議と火が止まったため、香林坊の火除け地蔵と呼ばれるようになったとか。
普通に町にでかけても、欄干も地蔵尊もメグスリの木も気にしませんよね。古地図を今一度よく吟味して、当日は当時をイマジネーションしましょう!
加賀宝生 能楽
金沢には、日本で唯一の能楽に特化した美術館があります。
金沢能楽美術館、行ったことあります?前田家が能楽「加賀宝生」を積極的に支援したことにより、武士階級のみならず、庶民の中にも幅広く普及し「空から謡が降ってくる」と言われたほど盛んだったよう。入場料(310円)払えば実際に能で使われる衣装や能面をつけさせてもらって能楽堂でコスプレもできます(≧∇≦)
というわけで、金澤能面顔マラソン(28km)を用意しました。時間ない方、体力的にキツい方はこちらもどうぞ。
金沢城
金沢マラソンの時、1万人以上のランナーが石川橋の下をくぐりますよね。ご存知かもしれませんがこの道路は明治までは百間堀という大きなお堀だったんですよね。今の白鳥路も白鳥堀というお堀でぐるりと城の周りを囲んでたようです。
学生時代、よく沈床園で花見してましたが、ネーミング的にそういうことだったんですね(笑)
そしてこの百間堀の地下には、金沢城二の丸に水を送るための木管(石管)が敷設され、辰巳用水の水を逆サイフォンの原理(高低差による水圧を利用)で引き上げた日本初の技術こと。兼六園は防火用の水かめや浄化用の濾過としての役割りがあったとか(=o=;)
そして意外と気づいてないのが金沢城の正面玄関は、実は大手門(尾張門)のほうで、石川門は勝手口、そして黒門(二丁口門)は、一向一揆統治時代の大手門。大手門では人の背丈よりも高い巨石に注目で、鏡石と呼ばれるこの大きな石は、わざと目立つ場所に設置され、藩の技術力を誇示するために作られたとか。
さて金澤サムライ顔マラソンでは金沢城の周りや、城内の中を走ります。石垣の博物館と言われてる金沢城、旧テニスコート跡に石垣の解説展示がズラリと並んでますので、せっかくなので勉強しながら走りましょう┏(^0^)
今回のコース
いかがだったでしょうか。
たかだかお絵かきランといいいながら、ここまで掘り下げることができました。
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ダイセルの久保田邦親博士(工学)って鹿児島県鹿屋市出身だったんですね。永遠のゼロにまつわるゼロ戦の話をしていたら立派な博物館があるようです。近くには内之浦のロケット発射基地もあって一辺、観光に出かけたい場所ですね。
ダイセルイノベーションパークの方ですね。材料物理数学再武装って面白いよ。化学反応における熱力学と速度論の競合モデルである、TTT曲線ってのが関数接合論でも近似できるらしい。この理論、経済、経営、マルテンサイトの強度、やストライベック線図、座屈理論、金属の比熱の式なんかにも使えるもので、人工知能の基礎理論としての位置づけとしても面白いよ。
すべてをすべるCCSCモデルかあ。
兵庫県姫路市も世界遺産、姫路城があって山陽新幹線も止まるいいところですよね。